いい人。
突然ですが、私よく「いい人」と言われます。
きっと、褒め言葉として言ってくれてるんだろうけど、ちょっとモヤっとしてしまう。
それは、私が「いい人」を演じてる自覚があるから。相手の望むであろう態度や言動を忖度してとるから。
「いい人」じゃなきゃ、受け入れてもらえない
「いい人」じゃなきゃ、認めてもらえない。
「いい人」じゃなきゃ、嫌われる。
だから「いい人」って言われると安心するけど
同時に次のプレッシャーがかかる。
これからもずっと「あの人にとってのいい人」でいなきゃ!って。
実はこれめっちゃ疲れる。時々思ったような反応が取れないとめちゃくちゃ引きずります。
「ああ、あんな事言っちゃって、やな奴と思われてないかな?」
「ああ〜なんであんな態度取っちゃったんだろう〜」
挙句の果ては、後から取り繕うような事言ってみたり…
エネルギーがめっちゃ外向き。人の事ばっかり気にしてるから。
だから自分がこうしたい、ああしたい、ていうときめちゃくちゃワガママ言う気がして言えない。
これ、冷静に見ると
誰もが認めるいい子ちゃんになりたい優等生
なわけですよ。
誰しもに好かれるなんて事は有り得ない事で
そもそも他人に好かれるかどうかなんてのは自分の意思とは全く無関係なものであり、無意味なはず。
それを気にして自分の意思がなくなってしまう事のほうがよっぽど大問題なんですよね。
でも長年こうして生きてきた自分にとって、ここを変えるのってもの凄く勇気がいる。
だけど、人って自分が思うほど他人の事気にしてないみんな自分の事で精一杯だし(笑)てのもわかってきた。
何より、
「いい人」しなきゃ!なんて自分にも相手にも失礼な気がする。
全然相手を信用してない。そして自分も。
そりゃー、生き辛いよね。
少しずつでいいから変えていこう、自分と自分を取り巻く世界を、もっと信頼しよう。
復活✨テン上げのコーナー✨
公開は延期になったみたいだけど…
ハロー、新のび太 のフレーズが良いね(^^)
ネガポジは選べる?
ぐるぐる思考が渦巻いて止まらない時〜!
大体はロクな事を考えてない。
はい、私です(笑)
こういう時って、今の自分の現状を嘆いたりないものを欲しがったり、他人のせいにしてみたり最後は自分責めしてみたり…
ひー:(;゙゚'ω゚'):
全くもって時間の無駄ですな。
少し冷静になって考えてみればそれも気付けるのですが、無意識にこうしたいらない思考にのまれてる事が多いのです。
そして気づいちゃったのですが、これって凄く楽なんですよね。
自分のやりたい事や理想に向かって行動していく事やそもそもエネルギーの向かう先を見つけられない時、現状を変えてチャレンジすることにはリスクもあるし怖さもある。
そこを超えていくよりもネガティブな思考に逃げこんだほうがラク、という事。
それも、悪くはない。
でも私は本当に自分を好きになりたいし、それによってもっと素晴らしい景色を見たい。
これからは、ネガティブな思考にハマってる自分に気づいたら、「はっ!違うちがーう!」
と路線変更していく所存です。
あーあ…
今日は、新しい仕事を探すため、募集が出ていた派遣会社に登録しに行ったのですが…
なんと、まさかの
コロナウィルスの影響で募集が減っておりご希望のお仕事はご紹介できない
と言われてしまいました…とほほ😭
わざわざ遠くまで出向いたのに〜!!
他にも似たような仕事があるか探してはくれたのですが全くもって畑違いの職種で自分にできるか検討もつかなかったので、とりあえず保留に、という事にして帰って来ました。
なんだかなあ〜。
やはり、年齢の事も言われてしまいました。
本当は恥ずかしくて自分の内に秘めておきたいところですがまあこのブログにはつつみ隠さずさらけだそうと決めたので記しておきます!
後々の私自身がこれを読んで
あー、この時こんな事言ってたわ!
ウケる〜!!ギャハハハ!!
と笑うために(≧∀≦)
「相変わらずバイトひとつも決められないダメなやつ」「もう年齢もいってるんだから仕事選ぶな」などなどはい、出ましたの自分否定がぶわーと溢れ出し、旦那にも八つ当たりしかける始末_:(´ཀ`」 ∠):
よく、宇宙的?スピリチュアル的?には目の前の現実は自分の心の中が反映された映写機にすぎない。といわれますがて事は
私は自分はダメだって思ってるよ、今
て事なのか??
何それ怖い(笑)
そりゃいかんじゃないか。これからどんどん飛躍して人生楽しく生きていこうとしてるのに!
私はどうやらお金の為だけに働く、という事が出来ない性分のようです。
どんな事でも楽しく出来るのが最強だとは思うのですが。
さてどうしたものか。
兎にも角にも自己認識を変える努力は頑張っていこう。
とか言いつつブログで文字色変えたり出来るのに気付いてちょっと楽しかったのが今日の良かった事です。
「恐れ」と仲良くする?
昨今のコロナウィルスの影響が、なかなかに幅をきかせてますね。
トイレットペーパーが店頭からいきなり消えてしまったのは本当にビックリしました!!
改めて、「恐れ」というのは人を突き動かすすごいパワーを持っているのだなと感じます。
ましてや今回の場合は実体が目に見えずはっきりした対策もわからないものが相手ですから余計ですね。
なぜこれほどまでに「恐れ」に支配されるのか?
それは私達の潜在意識に原因のひとつがあるようです。
私が最近楽しく観ているYouTuberのQさんがこんな事を言ってます。
「潜在意識はお母さん」
人の潜在意識が求めているものは、
「安心、安全」
だけなんだそうです。なので、「変化」を嫌う。なので何か新しい事を始めようとしても何かと理由をつけてやめてしまったり、まだ起きてもいない事を恐れて心が塞いだりする。
それは私達の潜在意識が私達を守ろうとして
「危ないからやめなさい!」
と大声で叫んでいるみたいなんです。
意識レベルの世界ではいわゆる良い事、悪い事という認識はありませんから、どのような変化であったとしてもこういった事が起きるんですね。
私は今まで何かを始めたい、環境を変えたい、と思ってもなかなか踏み出せない事が多く、そんな自分を「本当に臆病な奴だ」「どうせ始めたって長く続かない」「自分じゃなにもできない奴だ」なんて無意識に責めていました。
改めて書き出すと…うーん、ひどいですね!
でもそれは潜在意識が私を守ろうと必死になってたと考えると、なんだか愛を感じて少しほっこりします。
そしてQさん曰く、
「もし、変化を求める時に動けなかったら、潜在意識に守ってくれてありがとう!でも大丈夫だよって言ってあげてね」と。
試しに言ってみると、安心感がありました。
今、不安が広がってる世の中ですが、少し情報から離れて自分に「大丈夫だよ」って言ってあげる時間も必要かもしれませんね!
「宇宙となかよし Qさん」のYouTubeチャンネル↓
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コーヒー☕️が大好きです。
バリスタ、憧れます。
「怒られる」のが怖い③
というわけで、一体どうしたらいいのか…
こういった事をひとつずつ潰していく事はこれからの人生に必要と感じます。
色々な心理学やスピリチュアル、自己啓発系の本など読みあさり、ひとつできそうな事は
「怒られる」のが怖い自分をちゃんと認めて許してあげる。
という事でした。
決して、それは悪いことじゃない。
私がダメで弱くて、欠陥人間だからじゃない。
今まで、辛かったね、怖かったね、そんな中で本当に良くやってきたよ。偉いよ!
そうやって自分を褒めて、癒してあげること。
そんなこと、意味あるの?自分で自分を褒めるなんて…と思いましたが、こうして書いているだけでもキューっと縮まりそうな心がふっと緩み涙が出てきます。
自分が自分を見て、気にかけ、認め、励ますということの大事さに、少し気づいてきました。
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富士山はいつでも溢れるパワーを惜しみなく与えてくれます💪
「怒られる」のが怖い②
子供の頃の記憶から、無意識に怒られる事や不機嫌な人を見るのが極端に苦手になりました。
「怒られる」「不機嫌にさせる」=自分のせい
と思うからです。例え明らかに自分が無関係だったとしても何か自分に非があったのではないかと考えて怯えてしまいます。
そうすると、何か仕事や交友関係で新しいことしたいと思ってもその怯えによって足がすくんでしまいます。
出来なかったら怒られる。ミスしたら怒られる。呆れられる、嫌われる。
こんな事、もちろん人には言えません。
「いい年して、怒られるのが怖いって何??おかしいんじゃないの、甘えてんの??」
なんて言われそうで。
で、ここでひとつのポイントが。
上の言葉、実際に誰かに言われたわけじゃありません。誰にも話してないのだから、言われるわけありませんよね。
じゃあ、誰の言葉か。
私なんです。
自分が自分に一番厳しい言葉を浴びせてたのです。
そして、怒られるのが怖い、という自分を認めないようにしていた。
そんなのは、理想の私じゃないから。
人の顔色伺って、明るい自分を演じて、気の利くいい人にならなきゃ。
だから、怒られるのが怖いなんていうのは絶対に隠しておかなきゃ!!
そして、どんどん辛くなっていくわけですね。
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「怒られる」のが怖い
前記事の続きです。
ほぼ無意識レベルで、怒られる、不機嫌な顔をされる、を異常に怖がっている自分に気づきました。
もういい大人なのに…自分でもビックリです。
しかし、新しい環境に行きたくてもいけなかったり、自分の意見をちゃんと言えなかったり、相手の顔色を伺って喜ぶような事を言ってみたり。
なぜなんだろう、と思い巡らせていたところ子供の頃のある思い出に辿りつきました。
小学3年で私は父の転勤で海外に住んでいた時期がありました。今から思えば慣れない海外での生活や仕事のプレッシャーなど父も大変だったと推測出来るのですが、よく家族揃っての食事時などに父の機嫌が悪くなりイライラを隠さない事があったのです。
そんな時、例え不機嫌の理由が自分でなくてもそんな父が怖くて怖くて一人トイレに逃げ込み耳を手で塞いでじっとしていました。
とにかく、そのイメージが今でも心に鮮明に焼き付いています。
遥か昔の子供の頃の記憶が未だに自分に影響しているとはにわかには信じられないですが、
今までの人生で繰り返してきた不足感や生きづらさにはこの子供の頃の記憶やイメージが大きく影響してるのでは?と考え始めました。
とあるサービスエリアのキツネうどん。
かまぼこに富士山がいますね(^^)